橋田壽賀子〜安楽死で死なせてください〜
時々旦那さんと、最後の迎え方について話します。
2人とも医者なので、普通の方よりたくさんの死に方を見てきました。
延命処置をするかどうかについて、昔よりも意思表示が一般的になったかというと、私たちが関わる人に関しては、そこまでではありませんでした。
元気な時から延命は望んでいませんでした、と家族がお話しされる患者さんは少数です。どんなに高齢でも、どんなに色々病気を持っていても、死に方を考えたことがなかったという人の方が多い印象でした。
あまりにも不健康な人や完全には治らない病気の人をみすぎたのか、元々の性格によるものなのか、その二つの理由でか、旦那さんと私の考え方は少し特殊です。
途中で大きな病気になったら話は別ですが、幸運にも健康で長生きした時、頭と体が自分のものであるうちに、スケジュールの一つとして死にたい。そんなことができる場所があるだろうか?
というのが、最近の旦那さんとの話の中身です。
40歳目前になって、まだまだ新しいことを経験してそれを楽しんではいるのですが、確実に昔より挑戦する範囲が狭まってきています。諦めた、というより、したくなくなった、という理由で。
こんな感じで、挑戦したいことがどんどん小さくなってきて、生活が穏やかな繰り返しになった頃、ここで満足、というポイントがきそうな気がするのです。そのとき、選択肢として、積極的な理由がない安楽死が認められる場所が世界にあるのだろうか?
そんなことをぼんやり考えていたので、題名を見てこの本を買いました。神保町の古本屋さんで。そんな機会がなかったら、手に取らなかったかもしれません。これも出会いです。
流石の橋田壽賀子さん、とても読みやすい。渡る世間は鬼ばかりも、おしんも、好きなジャンルではないのでみたことはありませんが、誰でも読みやすい、突っ掛かるところがない文章で、あっという間に読み終わりました。
結果、橋田壽賀子さんも同じような考え方だったけれど、明確な解答は持っていませんでした。
やっぱり安楽死に関してはヨーロッパの方が進んでいるというのはわかりましたが、国籍が違っても同じサービスが受けられるのか、病気がなくてもいいのか、など確認しなければいけません。
橋田壽賀子さん自身はご自宅で見守られながら亡くなったとのことなので、今の日本では、とてもいい方の最後だったのではないかと思います。
年を取れば死生観も変わると思うので、まだまだなんとも言えませんが、とりあえず旦那さんと自分が同じような考え方だったのは幸運でした。