ぷっくり丸と一緒

ぷっくり丸と一緒~外科系女医の試行錯誤の日々~

仕事と家事と育児を欲張る形成外科医

ひとりめ妊活・出産のこと

今日は検診に行きました。子宮経管長3mmのびていました!2.7cm!

入院はとりあえず免れて、自宅安静+軽い家事OKと言われました。

よかったよかった。

来週の妊婦検診までに、私の外来に来る予定だった患者さんの申し送りを作って、もともと私が執刀予定だった手術を、リクライニング出来る椅子(他科の手術用)を持ち込んでそこで横になって監督して(旦那さんによりすでに椅子が用意されていた)、帰ってきました。

 

今日は自分の妊活について書こうと思います。まずは一人目の時のことです。

 

職場の同僚である旦那さんと結婚したのが33歳で、結婚して半年後位からそろそろ子供を考え始めました。

旦那さんと付き合うまでは結婚することも子供を産むことも私の人生計画には入っていなかったので(おばあちゃんになるまで数年に一回恋人を替えながら独身でいようという、計画ともいえない人生計画はあった)、仕事と両立できるのかという点で葛藤があり、旦那さんとも何度も話し合いを重ねました。

私は仕事が続けたいこと、それも、誰でもできるような仕事ではなくて、ある程度スペシャリティがある分野の仕事がしたいこと、そのために協力してもらえないのであれば子供は欲しくないことなどを、時折感情的になってしまいつつも旦那さんに伝えました。

最終的には、旦那さんが協力を厭わないと約束したこと、今までの恋人とはできなかったけれど、旦那さんとの子供がいる生活は楽しそうだという想像が容易にできたこと、年齢的にはあまり迷っている時間はないことなどを考えて、子供を作る計画を立てました。

 

それまで私は月経過多でピルを飲んでいました。研修医の時、産婦人科をローテーションした際についていた女性の先生に、2~3時間の手術でも術衣を汚してしまうくらいの量が出て困っていることを伝えたところおすすめされたのがきっかけでした(タンポンと夜用ナプキンを併用してもだめだったので、これはおむつをはくべきなのかと思っていたところでした)。私の場合はピルの副作用はなく、経血の量が少なくなり、生理痛も軽くなり、生理期間も短くなり、生理も規則的になるといういいことづくめでした。

 

子供を作ると決めたら、思いついたできることを早めに始めました。

まず、ピルを飲むのをやめ、アプリで基礎体温をつけ始めました。葉酸サプリを注文し、そしてすぐ産婦人科を受診しました。

産婦人科では、アプリは目盛が粗いからわかりやすいように専用の紙につけるようにということでグラフをもらいました。また、採血でプロラクチンというホルモンの値が高いので下げるお薬を飲みましょうということと、経膣エコーで卵胞の発育具合を見て、いつ妊娠しやすいかをみてもらう診察がありました。風疹の抗体価が低いけれどワクチンを打つとしばらく妊娠できないとのことだったので、それは気を付けることにして受けませんでした。

 

旦那さんも私も、月に10回は当直があり、長い手術もありでタイミングが難しかったので、共用のスケジュールアプリに排卵予定日をいれて、当直の前に一回家に帰る、どうしても帰れない日はその前後に、とスケジュールをたてました。この辺は医者なので(?)恥じらいもなにもありません。

ここで少し問題になったのが、手術のスケジュールでした。長い手術は深夜に及ぶので、当然体にいいことではありません。当時、旦那さんは手術スケジュールを組む役職にいました。私はというと、長い手術の術者になれるかどうかという時期だったので手術には入りたい、でも体のことも気になるというはざまで揺れ動いていました。そんな中で、旦那さんがぽんぽん深夜の手術を私に当てると、どういうつもりなのか、と腹が立つこともあり、何度か軽いけんかになりました。私自身がどうしたいかが定まっていなかったので、旦那さんも困ったと思います。

 

そんな時期を経て、4か月後に妊娠しました。不妊に悩む人からすれば短いと思いますが、生理がきたときのがっかり感は今でも覚えています。

 

妊娠がわかったときの話ですが、わたしは頭が痛かったか腰が痛かったかで痛み止めが飲みたいと思い、時期は早かったけれど念のためその前にチェックをしたら陽性でした。その時、理由は忘れましたが私と旦那さんはけんか中でした。わたしは陽性を確認したあと、テスターをごみに捨てたのですが、なんとたまたま旦那さんが見つけてしまったのでした。気づいて私のところにきて、テスターを差し出す旦那さん。隠して捨てたのを見つけられて怒る私。でもなんだか可笑しくなってそのまま喧嘩はうやむやになりました。

 

その後は、つわりはありつつもおおむね順調に経過し(白衣のポケットに小さいお菓子を常備して食べ続けてしのぐ食べづわり)、妊娠4カ月までは当直も含め仕事はセーブせず、その後はなるべく長い手術は外してもらい、何があっても大丈夫なように外来もダブルネーム(同じ時間に二人で外来をする)にしてもらって、妊娠9か月で産休に入りました。大学病院勤務で潤沢な人手があったからこそできる体制でした。

40週を過ぎても生まれる様子がなかったので、誘発分娩を行う予定になりました。入院して子宮口にバルーンを挿入したもののなかなか陣痛が来ず、誘発剤を使って2日後破水、翌日陣痛が来て子宮口が6cm開いた時点で回旋異常がわかり緊急帝王切開、とバタバタしましたが無事に女の子が生まれました。

復帰を目指して最初から混合栄養、産後2か月で非常勤復帰、産後4か月で生理が始まったのでピルを飲み始めたためそこで授乳は中止、産後半年で常勤に復帰しました。そして今に至ります。

栄養に関しては、医局のママさんたちは母乳メインの先生が多いようでした。私としては、授乳という行為自体が動物的であまり好きになれなかったこと、私以外の人がお世話ができる状態にしたかったこと、などから最初から混合栄養のつもりでした(母乳に含まれる抗体はあげないと、位の気持ち)。

根拠はないにしても、やっぱり母乳をあげる機会を増やした方がいいのかなーと思うこともありました。でも、産んでからもよく思うのですが、楽しく生活するためには、赤ちゃんを中心に置きすぎるよりも、自分がどうしたいかをメインに考えたほうが家庭が円満に行くと思います。家事や子育てを分担しても、なんだかんだで家庭の中心は母親で、母親がハッピーかどうか、精神的な余裕があるかどうかが全体の雰囲気を決めると思うからです。余裕があれば、疲れた旦那さんを労わることもできるし、イライラして子供を叱る頻度も減ります。例えば、忙しい時期に、子供を保育園に預けすぎるとかわいそうという気持ちもいつも心の片隅にあるのですが、自分の時間を確保するために保育園に預けるのはむしろその後一緒にいる時間の質があがってよいと思います。

 

そして二人目に関しても同じような流れで、同じような時期に妊娠し、今回はけんかはしていなかったのでちゃんと妊娠したことを共有し、順調だったのですがまさかのこの事態、、、

 

とりあえず、この数カ月を無駄にしないようにタイムスケジュールでも作ります。一週間安静にしていると検診に行くだけでも息切れする状態だったので、それについてもなにか対策を考えないといけません。

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